kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

彼女について/よしもとばなな

よしもとばななの作品を読んだのは地味に初めてだ。いや、国語の教科書や模試等でいくらかは読んだことがあったのかもしれないが、明確によしもとばななの作品だと理解した上で読破したのは初めてだ。twitterやそこらで見る「よしもとばなな好き」さんたちの考えていることが少しわかったような気がする。結局好きだと公言する作品を知ることはその人を知ることの一番の近道なのだ。研究室の後輩が「最高の人生の見つけ方」が一番好きな映画だと言った時はきっとこの人は明るく真っ当に生きてきたんだなと思ったし、フジファブリックを好きな人に良い人はいない。悪い人でもないだろうけど。この場合の「好き」は「○○?あぁいいよね〜好きだよ!」の「好き」ではなく、好きなものを聞かれて数番目には名が出てくる際の「好き」である。それもまた公言する場合と公言しない場合とあるので(例えば好きな映画を聞かれて「冷たい熱帯魚」を挙げるようなやつぁロクなやつがいない)、また難しい。自己紹介というのは相手にどう見られたいか、がわかる。それしかわからないが、それさえわかればよい。実際の本人がどうかなんて関係ないのだ。また話が逸れてしまったが、表題の小説について書く。とは言っても、いくつか印象に残った言葉があったはずなのだがもう覚えていない。読み終えたのはつい3時間ほど前だというのに。自粛期間中にだらけきった自分には昇一の正しさは痛かった。一方で私なんかよりもずっとずっと悪い環境で生きてきて、人生に空虚感を感じている由美子に対してムカついた。私は未熟な人間なので、恵まれていても人生に空虚感を感じるし、恵まれていることを自覚して感謝などしない。既にもっているものに感謝などしないのだ。常にもっていないものを探して嘆いている。他者を羨ましく思わなくなる時がくるのだろうか。私の人生がこのまま大転換もなく続いていくとしたらこないだろうな。徐々に変わっていくとは思うが、人は悟りをひらけない。そりゃあそれだけ悪い境遇の人なんてそうそういないだろうよ、空虚を感じるのも当然だし、その中ではよくそれだけ強く生きられたなぁ君はすごい人間だ。いや本当にその通り。通報しなかったのも14歳なら当然だし、悪いのは全て大人だし、カウンセラーさんが切られたのも自分の責任だから君に責任はない。君が悪く思うことは何もないし、謝ることもない。皆一様に由美子のことを強い子だと褒める。私が文字を追って感じる彼女と彼らにみえている彼女との違いに戸惑う。う〜んと思っていると、どうやら彼女は死んでいるらしい。そうすると少し納得がいく。子が死んだ後の親のインタビューや周りの人の話では、いつもその子は強く美しく描かれる。その子の夜泣きやイヤイヤ期に悩まされたりしただろうに、そんなことは全て些細なことであったと忘れてしまう。昇一だって夢の中だからあれだけ正しくいられたんだ。そう考えると少し安心する。そうだよな、人間そんなに正しくいられないよな。でも正しい人間というのは存在するんだ。そして自分は今かなり間違った人間だろう。作中に出てくるおばさんの強く丁寧な暮らしはきっと「よしもとばなな好き」の目指す暮らしだろうし、かく在りたいと私だって思う。ただ、どうやらそうはなれなさそうだし、現在はそうなりたいという気力もあまりないので、大人しく北杜夫の「なまけもの礼讃」を読む。なまけものはなまけものを見て安心するのだ。「箱男」の真ん中あたりに挟んだままのお気に入りの栞も、まだプロローグしか読んでいない「三体(二)上」もほったらかして、しょうもない本を読んでいる。他県の人間が都知事選についてどうこう言うことに腹を立てながら選挙に行って、まだもう少し東京に住んでいそうな私の生活をなんとかしてくれそうな人の名前を書いて箱に入れる。今回は注目度も高かった分、若者の投票率が上がって私が住みやすいまちになるといい。いちいちインスタのストーリーやtwitterで投票を報告する奴には妙に腹がたつが、別に何も悪いことではないので黙っておく。未熟な人間なので、他者の全てが憎いだけなのだ。