kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

iPhoneのポートレートモードで撮られた自分

ブログを書こうと眼鏡を取りに行ったのに、ヘアゴムだけを持って降りてくる。1階と2階のちょうど真ん中から気温ががくっと変わる。さらに私の部屋の戸を開けるとクライマックスだ。今日のお題は「暑すぎる」。このワードをさり気なく取り込むことは楽しい。制限下でいかに自由に立ち回れるか、を考えることが好きなんだ。キーワードに沿ったものをB5用紙1枚に自由に書く授業があった。私はかなり優等だった。ちなみに彼氏と仲良くなったきっかけでもある。妄想も好きだし書くことも好きだけど、私の可愛い子たちを酷い目に遭わせることができなくて小説は書けない。アマチュアにすらなれない。

この机は良い。色々な物が置いてあってもそれぞれが自由にしている。視界に緑があるのも良い。多角形柱をしたガラスと緑だけの花瓶。よく見たら茎から白く細い根っこのようなものが伸びている。花束の中の緑として頂いてから1月半経っているというのに元気なものだ。触手のようで少し気持ち悪い。一昨日観たナウシカ王蟲を思い出させる。私はブロッコリースプラウトも苦手な人間だ。調べてみると竜舌蘭科の植物のようで、アガヴェともいうらしい。どちらも良い名である。名前は一生まとわりつく。それは呪縛かもしれないし、力を与える魔法かもしれない。珍しい苗字が好きだ。散歩中は表札を眺めているし、人と会った時も苗字に反応することが多い。うちの学校は珍しい苗字が多いように思う。偏差値と苗字の連関とか誰か調べてないだろうか。日本人に多い苗字でも、藤が付いているものは嫌いじゃない。彼氏とは結婚も考えていたけれど、ありふれた、かつとんでもなくダサい苗字だったから絶対に苗字は変えないぞと決めていた。結局別れたのだけど。こうして別れた彼氏のことを「彼氏」と呼ぶ理由は、そう呼ぶことに慣れてしまったことと、「元彼」という響きが嫌いというだけだ。元はそんな意味はなくても、モトカレを引きずる女に聞こえる。ただ大学生活で一番関わった人間だから、ほとんどの記憶がその人と結びついてしまっているだけなのに。

通勤でも使えるような鞄が欲しくてZOZOを眺める。今日の売れ筋1位はTODAYFULのコートらしい。可愛いけど、TODAYFULのコートは重いイメージがある。私は1000g未満のコートしか着たくない。IENAのコートは1000gちょい。お陰で肩が凝らなくなった。高校時代はデカくて重いマフラーを着けて、肩が凝って気持ち悪くなっていた。水分不足とのダブルパンチだったと思う。本当は「デカい」とか使いたくない。でも自然と出てしまう自分が嫌だ。昔、小学6年生の頃、aiをe~に変える(例:ウザい→ウゼー)ことを塾の友人から学んでものすごく怒られた。そんな悪い友人とは付き合うなと。あの頃両親が私にしてきたことは、今は虐待と呼ばれるものだったのではないかと思う。私のヒステリーも2人の血を色濃く継いだ証と言える。私の性格は2人にそっくりだ。

高校時代の友人に会った。銀ブラなんて初めての経験だ。我々も大人になったなぁと思う。お互いに思ってはいるだろうけど口には出さない。だって子どもっぽいから。そんなことを思っている時点で十分子どもである。鏡に映る自分を見て子どもだなぁと感じる。子どもでいたい。けど子どもでいたくない。子どもだ。鋭利な肩になりたいと言ったら90年代の肩パッドを想像された。「鋭利な肩」という表現は一般的ではなく、私がSNSで眺めている界隈の言葉なんだなぁと実感すると共に、それでも伝わらないことに想像力の乏しさを感じた。彼女とは卒業後も定期的に会っている。彼女のことは好きだ。こんな私を褒めてくれるから。しかしダサいなぁと思うこともたくさんある。飲食店で声が大きいところとか、男を転がしていることを誇りに思っているところとか。同類と思われたくなくて静かにしてくれと願うけれど、結局同じ穴の狢なのだ。私が憧れる人と付き合うためには私が憧れられるような人にならなくてはいけない。カリッカリに痩せたい。このままでも美しいじゃん!と思うけど、結局ボディポジティブの考えを持つ自分に心酔しているだけだ。幼い頃に身に付いた細いことが正義という考えは今後一生つきまとうだろう。ポートレートモードは現実を映す。鏡に映る自分が可愛ければテンションが上がり、可愛くなければテンションが下がる。ルッキズムは自分の中にある。

これをピアノ演奏を聴きながら書いている。蜜蜂と遠雷の映画を観て、作中で演奏されていた曲をまた聴きたかった。私は音楽のことは何もわからないから、技巧的な曲を楽しく感じる。色々聞き比べてみると同じ曲でも弾く人によって全然違う音がして面白い。ピアノソロよりコンツェルトが好きだ。吹奏楽出身の定め也。

ここのところ太ももの裏をよく蚊に刺される。ちょっと気持ち悪いくらい刺されていて痒い。特に右の太ももとお尻の間が酷い。右のお尻の方が垂れていて、太もも裏はいちばん肉が付いているので、蚊によってそれが根拠づけられたみたい。筋肉はすぐ落ちて脂肪はすぐ付くのに、逆をしようとすると難しい。たまには逆反応が起きてもええんちゃう?数年前の写真を見ると今より痩せている。そりゃあ自粛期間に4kg太ってまだ1kgほどしか減ってないんだから当然だ。でもその頃ですら太いのだから、一体あと何kg落とさなければならないんだろう。そんなことを考え始めるとキリがなくて、何もかもが嫌になる。目の前のことだけ考えろというけれど、1日1日の変化は目に見えなくて、そんなんでやる気になれという方が難しい。BMI19を切っている人間が痩せるのは大変なのよ。見た目と体重が合ってない。

遂にLINEの通知を消した。悪い兆候だ。他人から連絡が来るのが苦痛だ。誰とも付き合いたくない。他者は私に苦しみばかり与える。自分と同じ人間はいないから、分かり合えなくて負荷がかかるし、他者の目は私を断罪する。嗚呼早くひとり暮らしがしたい。あと7ヶ月耐えればとりあえず家は出られて、そこからさらに12ヶ月耐えればひとり暮らしができる。数字にすると思ったより遠い。それまでの期間私は死んでいればよいのだろうか。

竜舌蘭は数十年にいちど花を咲かせ、その姿のまま石化したように枯れてしまうらしい。なんて美しく儚い一生なんだ。小説が一本書けそうだ。ありふれたつまらない物語が。

気合を入れてLINEを開く。好きな先輩には返信した。面倒な同期からのものは流し見した。個人LINEのことを個チャと呼ぶ人間は苦手だ。2chとか通ってこなかったんだろうな。圧倒的陽の雰囲気を感じる。あと私にとってチャットのイメージはパスワードシリーズなので、現実での出会いから始まった交友関係の人間と行うメッセージ交換をチャットと表現することに違和感を感じる。あとタイムラグがあるもの。チャットは同時にログインして交わされる会話というイメージ。LINEなんてメールに近いのだから、会話ではないだろう。LINEは苦手。特に女友達からの愚痴に何て返したら良いのかわからない。どうせこちらのアドバイスなんて求めていないのだから相槌だけで良いんだろうけど、3時間後に「うんうんそうだね」とだけ返すわけにもいかない。まだメール文化の方が好きだったな。ビジネスメールの面倒な前書き的なのも嫌い。

この机は丁度良い広さ。何でも許容する広さ。マグカップも花瓶も、PCと同じ平面に心置きなく置ける。手塚治虫もこんな広さの机で漫画を描いていたのだろうか。本当はもうひとつある黒塗りの机の方がトキワ荘で手塚から安孫子と藤本に渡された物に近いと思うけれど、こっちの方が好きだ。縁が自由にうねっているのが良い。自由でいたい。制限の下で。今日こそは部屋の掃除をする。

 

本来は行を変えたらひとマス空けるべきだと知っている。でもこれは私の日記なので、私の好きなように書く。文句を言う奴は見るな。こんな強気でいるけれど、実際に何か言われたら酷く凹む。他者に影響を受けやすい。相手のことを見下していれば気にしないけど、尊敬していれば落ち込む。そうするべきだったと後悔する。演じている「芯の強い自分」が好きなだけで、本当は強者に傾倒しているだけなのだ。