kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

私はスポーツ中継も結果を聞いてから見る女だ

夜はいけない。悪いことばかり考えてしまう。そんな時はさっさと寝るに限る。

昨夜は衝撃の事実に気付いてしまった。私って不細工なんだ、と(ぶさいくって打つと先に舞祭組が出てきて驚いた。そんなに有名なんだろうか。私は彼らのことはあまり好きになれないので、このPCとは趣味が合わないな)。ふと顔を見上げると、リビングの向こうにある食器棚の背面鏡に顔が映っており、それがガラス棚に反射して上下逆さまの私が上から4つ並んでいる。よくある大量のTV画面に人の顔が映っているMVみたい(例えばTWICEのfeel specialのジヒョの場面とか、あとちょっと違うけどチャーリーとチョコレート工場のTV室の場面にウンパルンパ達の同じ顔が並ぶのも似たものを感じる)。近所の温水プール電機屋にも合わせ鏡があって、その空間が怖くもあり面白くもあり、で好きだったな。バイトに行く途中の道に、英語のロゴが映っているの。横の看板が路面に反射しているだけなんだけど、それを見る度に光って直進するんだなぁと実感する。昨日の鑑定団で大きい綺麗な石が出ていて、かなりの高額査定されていたんだけど、それが2000年くらい前から蓄積されたものだと説明されていてね。最初、石を集めることが趣味だと聞いたときはなんでまたそんなものを、と思ったけど、よっぽど人間が作ったせいぜい数百年やそこらの芸術品を集めるより理解できる趣味だよなぁと思った。あぁまた話が脱線していたな。というか親が隣でお経を上げ始めてしまったからものを考えるのが難しくなっちゃった。まだ何言ってるのかわからない古語のお経ならいいんだけど、現代語の解説みたいなのを読み上げられると、もう考え事ができない。日本語の曲を聴きながら文章を読めない人間なので。うちの祖母、母、兄は宗教団体に属している。私も子どもの頃は連れてかれていた。小学校1年生の夏休み明け、絵日記の中から夏の思い出を発表する際に「道場」と言って理解されなかった瞬間、私はエウレカした。うちは他所と異なるし、それはあまり公にしない方がいいものなのだ。子どもの頃はよく家の外に出された。ごめんなさいと泣き叫んでドアを叩いた。今思うと虐待と言われても仕方ない行為だけど、当時は躾として家の外に出すことは珍しいことじゃなかったように思う。母の知り合いの男の子(自由人)が外に出されたら友人の家へ歩いて行って夕飯をごちそうになって帰ってきたという話も聞いたことあるし(親の体面も悪いし、一番効く気がする)。そんな毎日だったことを鑑みると、兄の奇声を虐待と間違われたのも納得だよなぁ。私はヒステリックでしょっちゅう大声で泣いていた。子どもだし仕方ないよなと思っていたけど、近所の子どもの家からそんな声を聞いた覚えが無いなそういえば。一方で外で受けたストレスには半畳ほどのタンスの中で布団や座布団に包まりながら声を殺して泣いていた。よく泣く娘である。傷つきやすいから、諦めるようになった。自分を守るためである。鈍感になりたい。「わかる」と「わからない」は不可逆反応である。洗濯機上の棚にカラフルな洗剤のストックが沢山並んでいるのを見るだけでストレスが溜まる。他者と生きるのはしんどい。家を出る日を指折り数えている。

 

結局話が脱線しすぎてもはや元の話をするのが面倒になってきた。かいつまんで話すと、過去の好きになった男と好きになられた男を思い出して、自分の立ち位置を把握したということ。あまり見た目の良くない、童貞くさい男ばかりだった。好きになった男も大したイケメンでもないけど、それでもそんなのにも及ばない女だったんだ私は。私は自分の中身は嫌いじゃないので、結局見た目かと気付く。やっぱり整形しよう。そして痩せよう。こんなんじゃいつまで経っても童貞くさい男にしか好かれねぇ。あーあ。結婚なんてしなくていいけど、結局連れている男で自分の価値が見分されるのだと真理に気付いてしまった23の夏。

 

いつの間にか8月31日。夏休み最終日(概念)。去年の今日は先輩と手持ち花火をしていたな。今はどうしているだろう。コロナが無ければ誘いたかったけど。バイト行って、フジファブリックを聴いている。とりあえず若者のすべては聴いた。そのままTEENAGERのアルバムを流す。いつ聴いても新鮮に良い。志村だけは私を裏切らない。漫画もバンドも、もう終わったものばかり手に取る。先のわからないものは怖い。

 

 

親しか縋るものがなかったあの頃とは違って、今の私には音楽もあるし、こうやって文を書くことで消化できる。全部私が自分の力で勝ち取ってきたものだ。何も変わってないようで確実に変わっていっているし、自分で選んだ、誰にも指図されていない私の意思はここにある。