志村正彦の誕生日である7月10日に、故郷・富士吉田に行ってきた。
私は亡くなった時の志村さんと同い年になった。
中学2年の春休み、東日本大震災を受けて部活動は全て停止、自宅待機の間にYouTubeで聞いたことから、その後の人生を折に触れて救ってきてくれた曲たち。
行こう行こうと思って行けていなかったが、29歳の間には絶対に行きたいと一念発起。いざ向かってみると拍子抜けするほど東京から近かった。新宿からひたすらJRに乗るだけ。高速バスが最速だが、JRなら事前予約もいらない。
本当はどこへでも行けるのだ。行きたい所へ。いつでも。腰が重いだけで。
富士吉田は、その富士山との近さは、わざとらしいくらい、写真で何度も見てきたが、街とのスケールがかけ離れたとんでもない大きさだった。例えるなら、魔王城のような。目の前なのにとんでもなく遠いと感じる大きさ。
とてつもなく大きなものを目の前にすると人は自分のちっぽけさを感じるのかと思っていたけれど、実際には、自分への焦点ではなく、その大きさの方に強い力を感じた。ここで育つと、神はいると感じるだろうなと。閉塞感というほど小さくないが、高い山々に囲まれた町。とはいえ電車が通っていて都市に出るのも容易。小学生も電車に乗る社会だから、子どもでもそんなに都市との距離は感じていないのではないだろうか。海外からの観光客も多く、東京のその辺にいるより余程海外との接点はありそうだ。
この町で、子どもの志村さんが親御さんに手を引かれ、友人と自転車に乗り、ギターを背負ってバンド練に向かい。想像するとなんて愛おしいんだろう。
思っていた以上に富士山の麓で、今だからかもしれないが、観光地化されている。富士山観光客は当時から多かっただろうから、割と観光で賑わう町だったのではないか。
29歳で亡くなったのは若い若いと思っていたけれど、自分が29歳になってみると、思っていた以上には大人だ。気持ちは次の30代に足を掛けている。
この歳でこんなにまっすぐに屈折した気持ちを書いているとは、なんて自分に素直なんだ。そして故郷を離れて10年以上。故郷への凱旋をすごく喜ぶ。育った町への、好きなところばかりではないだろうが、好きも嫌いも含めて慈しんでいるのだろう。
来られてよかった。
これが隣の野球少年の家!とまではならなかったが、志村さんの生き様に想いを馳せることができた。ノートにも感謝を書けた。夕方のチャイムも駅の列車接近メロディも、町を挙げて志村さんを誇りに思っていることを感じられた。私には足があることを知った。志村さんのことを好きな人が沢山いることを知った。
また忘れても、何度でも思い出せばいい。