休職した。仕事のことを考えると苦痛で、仕事中もそうでないときも涙が止まらなかったので病院に行ったところ適応障害だと診断された。以前、兄の障がいのことで、病名をつけるのはグラデーションに線引きをする行為だと書いたが、精神病というのは病院に行くか行かないかで病気であるかないかが決まる「状態」を指すものだとつくづく思う。社会人になってから、涙が止まらない状態はこれまでもあったし、それで早退したり一日休暇を取ったりということはあった。大学のときも、製図室に行けなくて大学近くの彼氏の家に泊りこんで課題を仕上げたこともあった。今回は、カウンセラーの勉強をしている母が指導カウンセラーに私の状態を話したことで、病院に行った方が良い状態であることがわかり、行ってみて診断されたというわけだ。あれもこれも、今の状態が"そう"なら、同じく"そう"であったはずだ。
適応障害とはいつからあったのだろう。最近病名がひろく知られてきたように感じるが、きっと前からあったのだろう。SF小説を読んでいると「分裂病」がよく出てくるが、これは今のなににあたるのだろうか。発達障害とかそういう先天性のものかと思うが。
休職をはじめて5日ほど。最初の数日を乗り越えたら、あとは発作的に感情が昂ぶることを除けばかなり症状は落ち着いた。こうして「涙が出ること」「ごめんなさい、赦して、死にたいと何度もつぶやくこと」「頭をかきむしってじっとしていられなくなること」等の行為をしてしまうことや、「何もやる気が起きず、何をするのも怠い」状態に対して「症状」という言葉を使うことはまだ違和感があるのだが、それらを「症状」として「病気」であることを受け入れることが快復への一歩としてこの記載をする。(「」使いすぎ?)
日中やることが無いので散歩している。放っておくと寝てばかりになって足が弱ってしまう。休職初日から数日間実家に泊っていたのだが、10mおきに休憩が必要なほど疲れてしまった。最悪の状態の時にずっと寝ていたので(起きていると暇な脳がろくでもないことを考えてしまうため)、これは筋力が弱っているのだと思い無理してでも歩こうとしていたが、よくよくiPhoneのヘルスデータを見ると、全然歩いていない日が一日あったくらいで週平均6000歩超だった(小学生の頃、盲腸で入院して1週間ほど寝たきりであったら歩けなくなったことが記憶に刻まれているため自分は少し歩かないとすぐ歩けなくなると思っている)。どうやら筋力の問題ではなく神経だとか脳からの指令による疲れだったらしい。
記憶について考えている。細胞は日々生まれ変わるのにどうして記憶は保持されるのか。それは細胞に蓄えられているのではなく、細胞間の伝達が、その伝達経路が情報であり、記憶なのである。(それはそれとして、脳細胞はある程度成長したら生まれ変わらないらしい。ということは、頭を叩くと脳細胞が死ぬ!というギャグはもしてかしてマジなのでは?)これがなー私はいまいちピンと来ないんだ。地上波やパソコンもそうだけど情報を信号として伝えて、それは例えば2進法だったりするのだけれど、受け取った側が映像や音に変換すると理論としてはわかっているものの、釈然としない。信号がものすごい速度と量でやりとりされていて、それがもちろん人間で処理できる能力を越えているから想像がつかないだけなのかもしれない。でもさでもさ、百歩譲ってテレビは映像一つ一つは点光源の点滅だから、それを大量に配置したものが画面でありセルでありその連続が映像であることはわかるんだけど、記憶ってそういうものじゃなくない?目で見て水晶体に移った像を信号に変換して脳に送り、それがあるとき掘り起こされたり眠っていたりするわけだよね。その出したりしまったりを司るのが海馬なわけよね。この保管するということもよくわからないし(保管はデータとして保管されるの?それともさらに信号が簡略化された状態になるのかしら?)、今私がこうしてPCを打っている後ろで車の通る音がしたり風鈴の音がしたりリビングの景色が視界に映っているわけだけど、これらは確かに「後ろ」と認識されており、記憶に残したりなんかしないわけじゃない。その判断もよくわからない。長年のパターン認識なんだろうけど。大体医者ってそういうことわかっているのかね。わかっていないと思うんだよね。高校生の時の生物の授業は暗記ばかりだなぁと思った記憶。物理の方がよっぽど考える意義があった。医学部なんて暗記と小論文ゲーじゃん。なーんてすごい敵をつくりそうなことを書いてみる。私はとにかく覚えるのが苦手だったから、医師免許なんてめちゃくちゃ記憶が必要な勉強をする上に働き始めてからも勉強&記憶が必要で負荷も高い仕事に就いているの、とんでもねぇなと思っています。誉め言葉。なんだけど、同時に理解できねぇという気持ちもある。社会貢献、人の役に立つという極地の仕事で素晴らしいという思いと、肉体労働だし人の命扱うの責任重すぎだし下手に休めないしずっと勉強が必要だし絶対に自分にはできない、というかよくやるね!?人の役に立つプラスよりマイナスが大きすぎないか?と思ってる。が故の「とんでもねぇ」です。ま、でも賢い人たちが沢山いるから、きっと大脳の仕組みとかシナプスがどうだとか、研究して理解している人たちもいるのでしょう。そういった方々が書いたものでも読んでみることね、私よ。
そうそう、ここんとこ散歩をしているのだけれど、暑いのでできるだけ午前中に行くようにしている。今「午前中に/できるだけ/行くように」と書いて、読み返して「できるだけ/午前中に/行くように」と直した。日本語は語順が適当でも通じるからすごい。英語で I go everyday to the park. と書いたらおかしいもんな。いや、日本語でもおかしいはおかしいけど普通に伝わるもんなぁ。前日に行きたいところを決めてそこに向かって歩く。別に闇雲に散歩するのでもいいし、いつもはそうしているけれど、今の街は3月に引っ越してきたばかり&イマドキシティなので、色々行ってみたいところが沢山あるからね。ま、実家でも結局は目的地とかどこどこ方面に向かって歩くというのはあるから、変わらないけれど。とはいえ、絶賛休職中。とりあえずまだ有給を消化しているから今月は給料が出るけれど、来月も休むことになれば無給だ。しかも夫も絶賛弱っており適応障害なのではないかと思われる状態で、2人とも休職となる可能性がある。なんでまた同時に……と思うけれど、似た者夫婦な上に互いの不安定さが相互に悪い影響を与え合っていて今の状態になっているので、仕方ない。ということで、節約しないといけない。買い物したり、散歩しながら適当にカフェラテ買ったりなんてことは控えなければならない。この「節約しないといけない」という指令はなかなか重石となるので、できるだけ意識しないようにはしている。大学時代や社会人1年目のひとり暮らしの時は、仕事や論文を進めないといけない&プライベートでも勉強しないといけない&ストレス発散したいが節約しなければならないという制約に苦しめられていたから。
私にはスイッチがひとつしかない。オンとオフ、仕事かそうでないか、それだけ。学生時代も同じく。だから仕事以外の時間に別のスイッチをオンにして資格だなんだと勉強したり、お金だ政治だと社会人として当然のことを学ぶのも、ものすご~く億劫だ。特に前者は、オンのことなのにオフの時間と体力(とお金)を侵略してくるのがすごく嫌。休みの日のゴルフや就業時間外の懇親会の如く。しかもオフの時間中にやるべきオンのスイッチが沢山ある。資格勉強、お金の勉強をして保険やNISAに加入したりカードや口座を作ったり運用したり(やらないけど)、人によっては株を売買したり、投資だと言って家を買ったり、政治を学んだり、英語を勉強したり、そのうえ仕事が円滑に進むよう朝に労働してメールを返したり資料を作らなくてはならない。なぜなら夜に作業するのは大変だから。私の効率が悪いのだろうか。きっとそうなのだろう。色々とやりたい、やらなきゃと思うものの触手が伸びず、だらだらやって逃してまた落ち込んでを繰り返して。でもこう書いていて気付いたが、マチアプはちゃんとやった。勉強じゃないけれど、だらだらアプリやって彼氏できないと言っている友人に「本当に彼氏が欲しいのなら、1か月と決めて仕事だと思って毎日連絡返して休日大量に会って検討するんだよ、それでいいのいなかったら一旦休む。」と伝えているのと同じじゃないか。その相手は資格や語学の勉強はしっかりやれていた。何なら頑張れるかの違いだったのか。でも私の頑張れることってくだらないな。くだらないことないか、結婚したし。でも恋愛やお洒落はくだらないものという考えが脳の底に流れていて、その上をいくら新しい価値観や自分はお洒落が好きという認識だとか両親や友人にも認められる素敵な人とパートナーになった事実が砂のように積んで覆い隠しても、根底にその考えが流れていることを私は認識していて無視できない。お洒落、買い物、漫画、恋愛は良くないこと。学業、社会や教養の勉強、読書、芸術、運動は良いこと。ガチガチにラベリングされていて、シールを剥がそうとしても糊がべったりくっついて汚らしい。私を苦しめるのはこれなのかもしれない。その一方で、お洒落で見た目も選ぶものもインテリアもセンス良くて外見がシュッとしている人でありたいとも同時に思っている。確実に反目し合う「あるべき姿」が同時に存在するから心が疲弊する。
スーパーや八百屋に桃が並ぶ盛夏。1個100円台のものを見つけると嬉しくて買ってしまう。我が家は夫が果物全般食べないので独り占めできるが、その分失敗した時も自分で食べきらないといけない。4個入り500円の特売を意気揚々と買ってきたものの、水っぽいのでチーズやらと一緒に食べたいが、節約中なのでチーズの購入を躊躇う夏の夕方であった。
久しぶりに私用PCを立ち上げたと思ったけれど、結婚式の準備でよく使っていたか。
やっぱりスマホで書くよりPCで打ち込む方が楽しくはかどるものである。