kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

救いに至る道は思いもよらない場所に落ちている

ここんとこ書いていたJ関連の記事を全て消した。「死にたい」なんて書いている人が書く推しの良さなんて見る人にとってはマイナスイメージになりかねない。というのは建前で、自分の人生とアイドルの人生の距離感をはき違えてしまいそうになるからである。アイドルへの傾倒は自分の人生からの逃げであり、彼らがどうしたら売れるかよりも自分がどうしたら無事に3月に修了できるかを考えるべきなのである。

 

本格的にまずい。研究をここ1ヶ月は全くしていない。いや2ヶ月か。いやいやもっと前からほとんど進めていない。つまりは今年度に入ってからろくに進めていないのである。

今まで感情論で具体的な話を避けていたが、要は研究という私の学生としての本分を全うしていないことがここまでの記事の暗い話の要因である。

別に死にたいわけでもないのに「死にたい」と呟き、先生と顔を合わせるのが怖くてオンラインゼミすら黙してしまう。そのくせプライドだけはいっちょ前にあって、1言は話すしたまに会う友人にはやっている風な顔をする。遠くに投げたボールに全く追いついていない。追いつけないから追うのを止める。ボールとの距離はどんどん開いていく。

 

しかし就職先も決めて、論文の〆切も目前に迫ってきたところで先生から対面ゼミのお達しがきたためそろそろ動き出さないといけない。しかし腰が上げられない。SNSもやめたのにボーっとスマホの画面を見つめてしまう。それも飽きたらひたすら寝る。1日のうち横になっている時間がほとんどで、足腰の筋肉は急速に衰えた。勇気を出して9月頭に母に相談してみたりもしたが、結局どこかプライドがあって「まぁでも卒業はできると思うよ」なんて言ってしまい、優しい母には研究している様子がまるで見られなくても何も咎められない。また罪悪感が募る。

 

ここでhatenaのブログトップから辿り、こんな記事を見つける。この記事に出てくる中学1年生の娘さんの話が、自分に重なるものがあった。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

この娘さんと同じような状況である。目を背けて、貯金(娘さんの場合は生来の理解力、私の場合はこれまで進めておいた分の研究)だけで乗り切ろうとする。実際私も小学生の頃は中学受験塾の宿題を全然やらずに、母に怒られ泣きながら片付けていた記憶があるので彼女の気持ちがよくわかる。というかその頃から何も進歩していないということだ。

 

その上でこんな記事を見つけた。

 

anond.hatelabo.jp

最早これに関しては自分が書いたのか?というほど。躁鬱の気があるという自己分析まで。あくまで「ケがある」というだけですが。あと男性だと思って読んでいたら女性だったことにも驚いた。やっぱり自分なんじゃないか?専攻からして違うが。

彼女の文才にも驚くが、その記事に寄せられたコメントから飛べる様々なブログにも驚く。どうやらこれは私だけの現象ではないらしい。

 

今日ちょうど、自分の状況を表す言葉として「引きこもり」が相応しいのではないかと考えていたところだった。しかしそこまで大ごとではないだろう、と楽観視していたのである。当記事を読んで、もしかしなくてもこの状況はなかなかに深刻な状況なのではないかと思い当たる。「やる気が出ないだけなんだ」「いややる気ってのはとりあえずやってみなきゃ湧かないのは分かってるんだけど」「でもやりたくないよね」と禅問答を繰り広げてきたふわふわした脳内に刺さる鋭利な刃であった。「ニート」「引きこもり」で検索する。就職案内所に行くわけではないのであまり参考にならない。この記事に辿り着けてよかった。

 

またこの記事の追記でも引用されているブログが大変明解に私の心情を言語化してくれていたので引用する。

note.com

コンテンツが途切れると自分の現状に向き合わなければならず、その十字架に耐えられるほど強くなかった僕は、ひたすら絶える事なくスマホを握っていました。罪悪感を、周囲に対する劣等感を、将来への不安を、膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました。スマホの画面を見ていない時間が、そこで顔を出す現実と孤独が怖くて仕方がなかった。弱さに向き合うことすらできない弱さに絶望し、ただひたすら感情を失ってゆっくり腐っていきました。辛いことも楽しいこともほとんどありませんでした。

 

話は逸れるが、こういうのを読むと、えてして人間は負の感情を抱いている時ほど魅力的な文章を書くものだ。自分の過去の記事を振り返ってみてもそう思う。自分の弱さから目を背けたくて他者の描く弱さにのめり込む。

 

閑話休題、思ったより私の状況は深刻であったこと、そして1人じゃないことがわかったのはとても大きい。特に「大学院生の引きこもり」なんて現在進行形の出来事を綴ったできたてホヤホヤの記事である。 大学院という環境は特殊で、特に文系の学部生から見るとよっぽど勉強好きに見えるかもしれないが、ある一定レベル以上の大学の理系学部はほぼ6年生教育のような状態にある。中高大と親に勧められるがまま、ある程度勉強もできたのでスイスイと進学していくと、大学院という授業もなく研究のみしていれば良い環境で何もしたくなくなるのはとてもよくわかる。特に大それた目的意識もなく進学してきてしまったのだ。こうして書くと自分を正当化したいわけではなかったのだが、結局正当化していることに眩暈がする。どこまでもプライドが高い。

 

そしてここまで書いても私は先生に正直に話す事はできないでいる。 今週は絶対に出さなくてはいけないゼミがあるので、それまで研究室に行って研究を進めることをこのブログで宣言する。1人じゃない。恥ずかしくない。

 

先の彼女のはてなから再び引用する。

最近自覚したよくないクセのひとつに、怒られているときに「そうなんですよ」と返事をしがちなのがあります。つまり私はそれが悪いことだと分かっていますアピールであり、つまり自分の心を守る言動な訳なので、素直に「はい」と言える素直さが欲しいです。

やはり寝てる間に私が書いたのだろうか?

作者の方には大変失礼かもしれないが、こんな「恥ずかしくて、みっともない私」 は私だけではないとわかってすごく嬉しい。まぁ前例がいたから何か状況が好転するわけではないが、世の中1人じゃないというのは思っている以上に力になることであるようだ。

 

正直になる。隠さない。恥ずかしくない。

明日研究室に行きます。このブログを読んでいる知人がいないことを願う。

 

そしてこのはてなを見つけるきっかけとなった佐藤勝利くんにこんなところでも救われている。話の最初と最後を同じテーマで締めるのが好きだ。救いに至る道は思いもよらない場所に落ちている。