kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

あなたの足はギリシャ型ですかそれともエジプト型ですか

新しいパソコンから書いている。macからWindowsに変えた。英数変換と間違えてAltを押しまくっている。ストレスが貯まる。溜まる?ストレスは液体なのか?まあいい。会社に入ったら当然Windowsなのでその練習も兼ねている。macは脳から直接使えたがWindowsは1度頭を動かして動作をしなきゃいけない。

 

今日は障害について話す。ここは「書く」というより「話す」感覚で書いているのでそう表記する。今日見ていたマツコと有吉の番組で、蛭子さんが軽度の認知症だと発覚したので今後TVに出るのかわからないと話していた。本人は出たいと言っているそうだ。まあ出たいと言ってもオファーが来るかはTV局次第であるのだが。(キイの距離感が若干違うのでバックスペースとエンターを押し間違える。Pの位置もちょっと違う気がする。まあここは慣れだ。)しかし認知症と発覚したからといって、前日までの蛭子さんと違う人になるわけではない。あくまで状態に名前が付いただけである。どう接したらいいか迷うことはない。病気も含めてその人の個性であり、別に今まで通り接すればいいのである。果たして健康な状態であってもイジることが正しいかはわからないが、認知症だからイジってはいけないなんてことはない。人生は連綿と続いていくのである。

ところでうちのきょうだいは障碍者である。こんな漢字なんだ。害だと印象が悪いからだろうか。今はちょっと調べるのが面倒なので気が向いたら調べて訂正するかもしれない。とにかく障がい者手帳というのを持っていて、会社にも障がい者枠で採用してもらっている。障がいというのは身体じゃないほうだ。彼が障がい者だと私が知ったのは手帳をもらった時である。駅までの横断歩道を渡る際、母から言われた。

「おにいちゃん、障がい者手帳をもらったの。○○社(知り合いの会社)で障がい者を何割採用しなきゃいけないというのがあってね、それで採用してもらえそうなの。」

そう、兄が手帳をもらったのは社会人になってからなのだ。それまでの20数年間、彼は「非障がい者」として過ごしてきた。それが一転、「障がい者」として採用され、生きていくことになったのだ。

これを聞いた時の最初の感想は、「お母さん、これを言うタイミングをずっと計ってたんだろうなぁ」である。どうしたらさりげなく切り出せるか考えていたんだろうな。母も同じ人間なんだなと思った。そして次に「おにいちゃんって障がい者だったの?」と思った。知らなかった。これまで私が兄のためにしてきた苦労や受けてきたストレスを思った。「そうかぁ障がい者だったなら仕方ないな」という建前と同時に悔しいという思いが湧いた。小学生の頃、クラスメイトから「○○(私)のおにいちゃん、図書館で変な声出してたよ~」と言われて下を向いたり、兄が部屋でひとりで上げている奇声をお向かいさんに虐待だと思われたり、いとこの前で興奮してプライベートなことをズケズケと聞く兄を机の下で足を軽くつねって止めさせたり、そうしたことが全て「障がい者だから」で片づけられたような気持ちだった。「周りに迷惑をかける恥ずかしい兄」は手帳を得て「障がい者」となった。兄は手帳によって赦されたのだ。

母は、兄に障がいがあることはwhat i had knownだと思っているようだった(うまく日本語の文にするのが面倒だった)。その上で、あくまで手帳をもらって名実ともに(?)障がい者となっただけだというスタンスで説明された(ように思う)。これは、私が昔から察しの良い方で、母の寝室の押し入れに発達障害などの本が並んでいたのを知っていたからそう考えたのだろう。確かに言われてみれば、頭の隅ではわかっていたのだと思う。兄が障がい者だと。しかし信じたくなかったのかもしれない。それに同級にいた特別支援教室に通うN君やHさんと同じだと思えなかったし、兄は特別支援教室には行っていなかったように思う。今思うとわからないけど。ただ兄は、勉強については普通の「勉強ができない子」のレベルだったし、会話ができないというレベルではないので行ってないと思う。

私の小学校には特別支援教室があったが、障がいのある子も普通学級で授業を受けていた。時々暴れて教室を飛び出した時に特別支援教室で落ち着いたりしていたみたいだが、実際はどのくらい機能していたものなのかわからない。そこに通う生徒の中に、先述したがN君という子がいた。あまり実害はない方で、時々教室を飛び出した。「学校なんか燃えればいいんだ!」が口癖で、それを聞く度に頭の中で同意していた。今は私の口癖になってるかもしれない。課題提出前に使う。そして彼が泣き叫んだり、飛び出したりすると追いかけて話を聞いたり、給食の給仕を手伝ったりとお世話を焼くT君という男の子がいた。お世話といっても「やってあげる」ものではなく、普通に友人として接しているように見えた。「面白い子だな~」くらいのテンションで。明るくおバカな子だった。当時から彼のことはなんとなく良い子だなと思っていたが、今思い出すと本当に良い子だったなぁ。同窓会で会ってもやっぱり良い人だった。

そしてN君のお母さんは有名人だった。PTAもやっていたし、N君のこともあってよく学校に来ていた。私の母とも仲が良く、お菓子作りを教えてもらっていた。同時に弟くんも有名人だった。よく私の同級生から「N君の弟くん!」と声をかけられていた。

当時、考えたことがある。N君を兄にもつというのはどんな気持ちなのだろうかと。将来とか、どうするのだろうか。「N君の弟」として声をかけられるのはどういう気持ちなのだろうか。

 

しかしここまで思い返して、私も彼と同じ立場だったのだと気付く。まさにコペルニクス的転回であった。

私も「S君の妹」と声をかけられていたのである。

 

兄には友人がいた。近所の団地に住むY君ら数人である。何度か家に来たこともある。当時まだ私は小学校に上がる前か、低学年だった。大きなおにいさんが遊びに来ることが嬉しくて、一緒に遊んでもらいたがった。彼らは面倒見がよかったので一緒に遊んでくれた。もちろん断られたこともあったが。小学校で彼らを見かけると「S君の妹」と声をかけられた。

兄は「N君」だったのである。

このことに気付いた時、私は怖くなった。きっと無意識にN君の弟について憐憫の感情を抱いていた。障がいのある子を兄にもって大変だな、かわいそうだな。哀れみの目で彼を見ていたのである。下に見ていたのだ。N君の弟を見下していたこと、そしてそれが自分であったこと。

気が付いたのはつい先日で、母と散歩中にT君の話をしていた時だった。T君=Y君だと気付いてからは言葉を継げなかった。不自然に違う話にしたのだが、母は気付いていただろうか。それとも、もっと前から気付いていたのだろうか。気付いていなかったのは私だけなのかもしれない。

Y君やT君が、我々大人が障がい者に対して抱くような感情で兄やN君に接していたのかはわからない。子どもはびっくりするほど純粋で、色眼鏡なく他人をみることができる。障がいと呼ばれる行動や性格も個性として片づけてしまえる。だから彼らも兄やN君を面白い奴くらいにしか思っていなかったのかもしれない。これは私の願望だろうか。

 

話は変わるが、私は研究で学校建築に関わっている。その中で特別支援教室の計画は議論の的となる箇所であり、様々な資料や実例を見てきた。最近は特別支援に通う子が増えているようだ。それは病気の子が増えたのではなく、特別支援自体のハードルが下がったこと、ADHDなどの病名が有名になったことなどが理由にある。私の頃はADHDなんて言葉は一般的でなかった。多動とかADHDとか、今思うとあの子ってそれだったんじゃない?と思う子もいる。私は幸運にも学業優秀な親の下に生まれたため勉強はできた。3年生の冬に中学受験塾に通い始める前の成績については記憶がないが、ベネッセのいちいちアドバイスをしてくるコラショにムカついていた記憶があるので、塾に入る前から勉強はできたように思う。努力していたわけではなく、理解できたということだ。だから私は小学校のテストで60点をとる子のことはわからなかったし、今でもわからない。でもそういう「勉強のできない子」と、多動やADHDと病名をつけられている子の違いがわからない。それらの病気に詳しくないため、実際には明確な違いがあるのだとは思うが。

ところでよく「男は察しが悪い」と聞く。元彼はそのタイプだった。私は相手の言葉の裏を考えてしまうタイプで、他人が発した何でもない言葉を嫌味と受け取って彼に相談したところ、「そんなこと考えもしなかった」と言われて驚いた。だってこの言葉は嫌味でしょう。なぜわからないの?と。

でもきっと算数が理解できなかったりすぐ叫んだり、片づけができなかったり、言葉の裏を想像できないのも、全て個性なんだと思う。その個性の延長線上に多動もADHDもあるように思う。だって皆脳の形は同じじゃないし。病名をつけるには線引きがあって、その線を越えたらADHD、越えなければ個性。結局全て個性なのだ。身体の障がいも、ぜんぶ「足の親指と人差し指どっちが長いか」と同じ議論だと思う。もちろんその全てを個性で片づけて治療や補償をしなければ生きづらい人が増えてしまうので、一定の線引きをして病名をつけて治療や補償をする。ただそれだけだ。先述の蛭子さんだって、N君だって、兄だって、連綿と続く人生の中である数値が基準を超えたので病名が与えられただけなのだ。

 

話は飛躍するが、最近話題の「毒親」も個性のひとつだと思う。親の在り方に正解などないのだから、間違ってたら毒親とするわけにはいかない。いつの時代も社会のセオリーがあって親の考えや行動がそこから外れていれば毒親なのだろうか。実際に毒親と呼ばれる親をもつ人の話を読むと、確かにひどい親だと思うが、ここまで話してきた障がいの基準に引っかからない人(又は引っかかっていてもそれを自覚していない人)なのではないかと思う。別に障がいということではなく、普通の人と違う行動をとること。生来の気性+育ってきた環境や受けてきた教育といった後天的なものによって形成されるその人の行動が現代のセオリーを大きく逸脱しているだけだ。基準を超えているので毒親と呼ぶ。

精神病含め身体の病気も、身体の異常ではあるのだが数値が基準値を超えたというだけでその人であることに変わりはないのだ。

 

ちなみに兄の病名はまだ知らない。

彼の病名に関係なく、彼が私に今までしてきたことは許せないし、迷惑をかけられたことも変わらないので、私は兄のことが嫌いだ。

一刻も早く4月が来て、別の家で暮らしたいと思う。