kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

私の部屋は南向き四畳半

漫画を捨てた。捨て魔の私でも捨てられない物のひとつだった漫画を、手放す時が来るとは。これだけは私を形づくってきたから、捨ててしまったら私の過去を捨てるようで出来なかった。ミスドに好きな曲が流れている。タイトルはわからないけど、嬉しい。Amazon Musicを始めてからお気に入りの曲が増えて、こうして街中で幸せを感じることが度々ある。漫画を捨てる気になったのは、ひとり暮らしに持って行くのか?と考えたからで。今まではひとり暮らしにも持って行く気満々だったけれど、引っ越し費用とか内定先の手取り額の実状を目の当たりにして、漫画に掛けられる費用の限界を知った。と言いながら、買取を申し込んだ直後にAmazon志村貴子の漫画に5000円くらい支払ったのだけれど。これは貰ったアマギフを使っただけなので支出に含まれません。志村貴子の漫画は良い。絶妙に人間の醜い所が出ているし、すけべなシーンがあっても性的じゃない。肉々しい描写が苦手だ。人の体温も汗でしっとりと湿った肌も気持ち悪い。昔から他人に触れるのが苦手だった。「お隣さんと手を繋いでね」と言われて、小学校6年間好きだった男の子でさえも嫌だった(繋ぎはした)。裸の身体に人肌が触れるのが嫌だから、根本的に他人との交わりに向いていない。アロ…なんだっけ、とか呼ばれる恋愛感情を持たない人なのかもしれないと疑ったこともあったけれど、キュンとしたことはあるからそれではないと思う。どうして高校生まではあんなに純粋に他人を好きになれたんだろう。叶わない恋は良い。何かをしてあげる必要がないから。叶ってしまうと途端に義務になる。なんてことを考えているのは好きな男がいないからだろうか。うちの大学の男は皆嫌いだ。

私はあまり漫画を買わなかったので、せいぜい300冊くらいだろうと思っていたそれは実際には200冊ほどしかなかった。シリーズで揃えたい願望はあるが、いちど読めばその欲は満たされるので、ブックオフで立ち読みしただけのシリーズや巻が多い。あとは雑誌で読んでいた。だから読んだ漫画数に比べて家にある数は驚くほど少ない。捨てる気になったのは、「色々な漫画を読んできたこと」が私のアイデンティティに占める割合が小さくなったからだろう。本棚を整理していて、建築関係の本を全部捨ててしまいたくなる。一級の試験が終わるまで流石に捨てないが、一方で捨てられない物のひとつに大学受験関係のノートや参考書がある。抽斗のいちばん下を陣取った上に本棚にまで浸食したそれは、重くて邪魔で仕方がない。全部捨ててしまいたいと思うのに、捨てられない。その違いは私がそれを頑張ってきたことを心の支えにしているかどうかだ。つまり私は大学に入ってから何も頑張ってきてないということか。大学でも確かに頑張っていた頃はある。けれどメンタルをやって諦めて、それからは諦め癖がついて赤点を取らない範囲で最低限生きてきた。この間芸能人の自宅を見ていて(良くないことだとはわかっている。でも他のことを調べていて偶然出てきて、まさかそんなことが知れるとは思わずつい見てしまった)、案外小さな家に住んでいることに驚いた。賃貸の家賃はとんでもないが、一軒家はうちの近所の高級住宅街に並ぶ家にすら及ばない。芸能人の私服は高級ブランドばかりだから、家計の洋服にかけるパーセンテージから比例して家に掛ける金額はこのくらいだろうと踏んでいたのに。どの人も立地は良いが家は大したことない。こんなものなのだろうか。服は他人に見せるが家は他人に見せないから?最近は芸能人でもそんな感じなんだなぁ。家に対する欲求が減っているのを感じる。建築を学ぶ者としては悲しい限りである。ワンシーズンで手放すブランド服を買うぐらいなら、我慢してもっと広い土地を買えば良いのに。芸能人だから閉鎖的な家になるのは仕方ないとしても、裏庭とか、玄関からの広いアプローチとか、土地があればプライバシーはいくらでも保てる。哀しき哉。結局貯金は稼いだ額ではなく出ていく額の大きさに依るのである。

最近は自己肯定感(この言葉嫌い。自分に対して抱く大事な感情が自己啓発本の餌にされたような気分。)がとんでもなく低い。というか自己を肯定できるような要因が無いのだ。理由なんかなくても自己を愛するというのが自己肯定感だとは思うけれど。昨夜(さくやと読むタイプ)鏡を見ながら、名前に相応しくない、と思った。私の名前はよくある音で、同じ音の名前の綺麗な人が沢山いる。私がそんな方々と同じ音の名前というのはなんてことだ、隣に並べないでくれ、恥ずかしい、申し訳ない。しかしメンタルヘルス経験済の私は強いので、これはビタミン不足と夜更かし、筋肉不足が原因だから規則正しい生活と食事、筋トレをすれば治るとわかっている。毎朝毎晩改善しようと思うものの、結局11時半ごろまでゴロゴロして、行動的になるのは15時過ぎである。今日も15時を過ぎてようやくノロノロと家を出た。お気に入りの白Tシャツとショートパンツを履いたらなかなか良い感じで、指輪も嵌めた。こうしてミスドでブログを書きながら、指輪を嵌めた手は気分を高揚させて良いな、と思う。もっと買おう。イヤーアクセサリはマスク時には鬱陶しいし、鏡で見ないとわからないけれど、手はどれだけ飾り付けたか見えるから良い。初めてのリングは他人に貰うんだ、と頑なに手を出してこなかったけれど、彼氏より前に友人から貰った(ちなみにそれより前に母からお下がりを貰ったが、あまり好みではなかったので着けていない。)。4℃は駄目だと連呼していたお陰で下手なアクセサリは贈られなかったが、アクセサリ自体駄目だと判断したのか(どうしてそう発想が飛躍するのか本当に理解不能だが、アクセサリのうち唯一何度もくれたイヤリングの絶望的なセンスをみるに、貰ったとしても着けることは無さそうなので問題ない。)ネックレスもリングも贈られることは無かった。リングを着けたくて仕方がない時期があり、自分に課したルールで他人に貰うまで着けられないから誰かに貰いたいんだよね、という話もしたのに、何にも聞いちゃいない。彼は聞き上手だと思っていたけれど、話せないだけで聞くこともろくに出来ていなかった。はぁ。彼の愛は彼女にすべきと自分が思っていることを彼女にしてあげることで、実際の彼女が望んでいることを汲み取ってすることではないのだ。対人経験、というか対女性経験の乏しさを感じる。何年付き合っても童貞臭い男だ。気持ち悪い。近頃はダイエットをする気にもならない。自分可愛い!と思っている時は、もっと綺麗になりたい、これをキープしなくては、という意識が働いてスキンケアやボディケア(筋トレ含む)を頑張るけれど、今は鏡を見ても何も感じないし着飾った写真を見てもなんか頑張ってんなぁコイツとしか思わない。勝利くんのお誕生日コンサートも無くなってしまったし。最近はお気に入りの同人サイトを見つけてそこの小説を読み漁っている。このジャンルは読み尽くしたかと思っていたのに、まだまだこんなサイトがあったのか!嬉しい。若干解釈違いではあるのだけれど、文が上手いので読んでしまう。読み切ったら感想も送ろう。私は読後興奮が冷めないうちに、最高だったことと、書いてくれたことへの感謝を伝えて、後日推敲した感想文を送りたいのだけれど、なかなか鬱陶しいファンだと思う。のでいち段階目だけ送っている。馬鹿だと思われてもいい、投稿されたらすぐに読むようなファンがいることさえわかってくれれば。Pixivでも最近は感想を送りまくっている。前は滅多にしなかったのに。でも送らないよりは短文でも送った方がいいと信じて送り続ける。ここでも最高な創作作家さんを新たに見つけたので幸せだ。私の幸せは大体インターネットから得ている。

漫画をドバっと捨てた(正確には段ボールに詰めただけで、まだ買取に来てもらってはいない。)ので、よっぽどスッキリするかと思いきや、案外モヤモヤとしている。それはきっと整理し直した本棚がきっちり収まらなかったことと、漫画のほとんどはタンス奥のキャリーケースにしまってあったので、部屋の見た目にはあまり変化がないからだろう。ついでに上の棚も片付けた。こちらもあまり収まりが良くない。ここ数年、いやそれ以上か?は紙袋を貰わないようにしているので、収納に適当なサイズのお洒落な紙袋が無いのが原因だ。でも貰っても邪魔になるからなぁ、どうしたものか。部屋を見渡してみると、ひとり暮らしに持って行った後ここに残る物は案外少ないのだと気付く。服を全て持って行ってしまったらここにはほとんど何も残らない。そりゃそうだ、この部屋には服くらいしか置いていない。ひとり暮らしというのは備品がほとんどなのだろうな。

この前からLINEの通知は切ったままだ。連絡が来ているといけないので、結局いち日に数度確認しなければならない。おそるおそる開くと何件も溜まっている。大ストレス。赤ポチの数字が常に目に入るのと開くストレス、どちらの方が大きいのだろう。誰とも連絡をとりたくないし、他者と関わりたくない。もう末期だ。何の?夏だからミスドロイヤルミルクティは無い。初めてカフェオレにした。家のカフェオレの方が美味しいや。今日は朝からバイトが無くなった連絡がきてハッピーだし、昨日は売れないと思っていた物が一瞬で売れて安心したし、漫画も詰めたし何の問題も無い。

面白い夢を見る。よく見る。夢は私の創作の独壇場だ。いつのどの記憶が出てくるかわからないし、ついに誰なのかわからない人まで登場するようになった。これはかなり革新的な出来事だと思う。今までは知っている人(芸能人含む)しか出てこなかったけれど、本当に誰なのかわからない誰でもない人が出てくるのだ。どこかにいそうな、どこかで見たような人。こういうのを作品にしようとすると、映画がベストだと思うのだけれど、文章にする人は創作の世界をどんな風に想像しているのだろう。もし映像があるのなら、どうして映画や漫画の視覚世界ではなく文字情報に限定するのだろう。私は相手の想像に任せたくない。私の想像している世界はこれなんです。これ以上もこれ以下もありません。ここに来る途中、青い車を見た。小さくて、角は丸みを帯びていて、車高が低いロイヤルブルーの車。Sなんとかって数字が書いてあった。古い国産車かと思ったけれど、ヘッドマーク(今調べたらこれはバスや鉄道に使う言葉で、私が言いたいのはボンネットのエンブレムのことである。高級車によく見られる立ち上がった物はボンネットマスコットというらしい。勉強になった。)は見たことの無いものだった。ロイヤルブルーなんて嫌いな色だけれど(のわりに昔から縁がある色でもある)、私の趣味が変わったのだろうか、それともあの車があの色で完成していたからだろうか、趣味でもないのになんだか惹きつけられる車だった。ここのトイレに来るといつも思い出す「壁のあるトイレに音姫がある意味がわからない」と話していた友人。確かになぁとは思いつつ、いやでも家のトイレも結構音聞こえるべ?と思っていた。彼氏の家で大便はできなかったし、私はお腹が弱いので好きな人と同棲なんて絶対無理だ。今でも思う。さすがにそろそろ帰る。

 

帰り道で思い出したので追記。ポートレートモードで打撃を受けた私の自己肯定感にとどめを刺したのは、父からの「家族で一番不真面目」認定である。父に認められようと生きてきたのに、どうやら既に見放されていたらしい。喋れば喋るほど墓穴を掘っていくため喋るのを止めたらいいと思うのにしょうもない文句が口をついて出てきてしまう。沈黙は最大の損。「好き」も「嫌い」もどんどん口に出していかないと生きる意味が無い。