kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

書く。

死んだ2200羽の鶏から鳥インフルエンザが検出されたから同養鶏場の116万羽も殺された。

昨日は豚熱の感染が確認されたから6600頭の豚が殺されるらしい。

 

思えば私たちは蚊を殺しても誰にも咎められない。

食べるためでもなく、不快だからという理由だけで生命を奪う。

そんな生物は他にいるだろうか。

以前、グエムルを観た。あの怪物は人間を食べる。獲れるうちに獲っておいて保存するという術ももつ。でも、結局食べるのだ。生きるために食べるのだ。

私たちはどうか。別にこれは問題提起をしているわけでも、自分たちの命を大切にしましょうと諭しているわけでもない。家畜に感染症が広がらないよう殺処分するのも、最終的には自分たちの食べるものを確保するためだから、食べるために殺すのだと言っていいのかもしれない。今食べているこの鶏肉の足がこの鶏1匹の命ではないというだけで。

以前、動物愛護団体とは相容れないという話に触れた。それは彼らの言う「動物」がえらく主観的でエゴに基づいた線引きがされているように感じるからだ。

よく、自分たちの獲りたい品種の存続を脅かす外来種等の天敵を「駆除」する上で、それらを「美味しく食べられたら」いいよね、という話がある。1から10まで傲慢にも程がある。ここであえて「生態系を壊す」「害虫」「増えすぎた」等の言葉を使わなかったのは、それはある時点での人間から見たバランスが変わろうとしているだけの話だからである。もしかしたらそこで人間が手を加えず、例えばブラックバスがどんどん他の種を食らいつくしたら、もしかしたら知能を持ち始めて海を統治するようになるかも…なんて何年かかるかわからないし人間以外の生き物が現時点では知能を持っていないかなんて私にはよくわからないのだけど。まぁ全ての行動はエゴなのだから、せめてエゴであることを自覚して生きてほしいものだ。欲しいものがあってそれを阻害する要因があるなら殺せばいい。人間だってなんだって。

 

ただ、人間同士で殺し合うのは理にかなっていない。種の保存が一番の目的であるはずなのに、殺しあったら仕方がない。後でまた書くが、種の保存のために多様性の保持とその手段として社会を形成することを選択した種族が、現時点の社会において生存により適している側の人間が、適していない側の人間、例えば力が弱いだとか知能が低いといった人間を殺すことは可能性の芽を刈り取ることになる。他の動物も縄張り争いでけがを負わせたり、生き残るために共食いしたりするが、それは種の保存のために人間とは違う方法を選択したから当然なのだ。

そうなると、死刑だってとんでもないことだ。精神異常者だってもしかしたら世界を救うかもしれない。人間を食べずにはいられない人間だって、もしたんぱく質摂取先が人間しか無いような世界になったら重要な研究対象になるだろう。でも人間を殺す人間がのさばっている社会じゃ安心して生きられない(まぁこの世に安心して生きられる場所などあるわけないのだが。我々は自然界に生きているのだから。でもできるだけそのストレスを取り除くことで人間は長生きできるようになったのだろう。それも人間が保存*1のために社会を形成したことのメリットの一つだ。)し、社会を維持するためにはルールと罰を与えなければならない。ここが多様性を認めることと社会を形成することのバランスの難しいところだ。現在、世界的に基本小児性愛は禁止されている。幼い子どもには抵抗が難しく、また自らの意思で行動したとは言えないからだ。今、日本ではそうした犯罪は年上の男から幼い女に行われることが多い。また、関係ないようだが日本では結婚時期を急いだり、ライフプランを綿密に立てるのは女性である。それは出産に適した時期があるからであり、閉経という期限があるからである。最近思うのは、寿命が延び、学生期間が延び、結婚の年齢も高くなり、それが当たり前になったのに初潮や閉経の時期が変わらないのは何故か?人間の足の小指の何番目だかの骨は無くなりつつあるらしい。それは生活が変わったからである。人の身体は私たちが思う以上に急速に変わりつつある。例えば一世代違うだけで身長や脚の長さ、頭の大きさetc全く違う。平均身長も随分伸びた。生まれてからの生活スタイルの影響が大きいとはいえ、たった30年ほどでこれだけ遺伝子が変わってしまうのに、なぜ性に関する機関はずっと変わらないのか。月経だってチンパンジーやコウモリくらいにしかないらしい。とんだ笑い話だ。遺伝子における内臓の進化は骨に比べてとても遅いのだろうということは想像がつくが、それにしても劣った種族である。避妊してまで性行為をするのも可笑しい。少し話が逸れたが、男性には精通はあれど閉経にあたるものはない(はず)。だからこそ風俗に通う汚らしいジジイの図が出来上がるのだ。ならば、もし男の精通が10歳前後で閉経に当たるものが20歳前後にあればどうだ?そして女の初潮が30歳ごろきてその後閉経はないとしたら。もしそういう社会…というか身体の仕組みになれば、小児犯罪という言葉はなくなるのだろう。というか、高齢出産ほど母子共にリスクが高く、また一世帯当たりの子どもの数が1,2人が普通な社会なのだから、男女共に閉経が30歳くらいにくればいいのに。閉経後の男がどうなるのかが想像つかないが、そうしたら性犯罪も減るのではないか。そもそも生涯で1,2人しか子孫を残さないのであれば、発情期以外の性欲は無駄である。その欲求を生産に向ければ社会の向上速度は一気に上がるだろう。もしかしたら、人間の選んだ道は人間のキャパシティにとって最適ではなかったのかもしれない。まぁそもそも最適な道などないのだろうけど。結局人間の男に閉経はないし、初潮も精通も時期が変わることはそうそうないだろう。寿命も学生期間も今後長くなることはあれど短くなることはないだろうから、社会保障で子孫を残すことへの支援をしなければならない。種の保存のために社会を形成するとはそういうことだ。現状では、子どもを産むリスクが高すぎて、そのリスクをより解像度高く想像できるIQの高い人間ほど子どもを産まなくなっているため、人口減少と共にどんどん平均的な人間の知能は下がっていくだろう。そういう仕組みになっているのだろう。自浄機能というか。世界の生き物を見渡してみたって、例外はあれど知能の低い生き物ほどたくさん産み、高い生き物ほど数を産まない。人間だって同じである。そうやってバランスを保つのだ。人間にとってそれは教育水準が上がることだったり、殺し合いだったりする。

そうそう、先述した男性の繁殖可能期間が10代の間だけだった場合の小児性愛についてだけど、もしそういう社会だったらどうするんだろうね。結局子どもなのは変わらないから大人に丸めこまれそうだし。結婚という概念はあるのかな?話通じなさそうだよね。教育期間はどうなるんだろう。産むわけじゃないから産休はいらないけど10歳に0歳の養育は任せられないし。何歳になったら大人で、自分の意思で行動していると言えるんだろうね。何歳だって自分の意思で行動しているだろうし、その一方で何歳になっても他人の意思と自分の意思との境界がわからなくなることはあるし。倫理観がないのかな子どもだと。でも倫理観なんて誰かが決めたものだからどうでもいいじゃんと思いつつ、それが社会と言うものだとも思いつつ。私は性交同意年齢の引き上げに賛成だし、児童ポルノも撲滅しろと思っているけれど、その理由を明確に示せない。結局ルールとはその時点での社会でしか成り立たないもので絶対的なものではないから、私のこんなifは意味のないものなんだろうけど。

 

最初の鶏の話から随分脱線してしまった。このニュースを聞いた時に思ったことがあったはずだけれど、もう思い出せないので違う話を書いてしまったのだ。また思い出したら書きたいけど、きっと思い出せないのだろう。感情は鮮度が大事だ。面倒でもPCに向かう。書け。ひたすら書け。これは自分への戒め。

*1:さっきから保存保存と書いているが、本当に人間は何でもかんでも保存したがる生き物のようだ。伝統文化遺産だって、この何の変哲もない私の住んでいる家も300年後まで保存したら立派な遺産となるだろう。生態系だって、景観だって、ルールだって、伝統とか維持とか適当な名前をつけてなんでも自分の記憶していた通りの状態を是としてキープしたがる。変化は革新である。向上が全てとは言わないが、向上を是とする社会ならば変化を積極的に受け入れろ。土地も資源も限りがあるのだから何でもかんでも保存することはできない。今悪化に見えるその変化も時間の経過に伴う当然の変化だ。絶滅する動物は絶滅するし、生き残るものは生き残る。それだけだ。今「時間の経過」と書いたが、先に変化があってその後に経過があるのかもしれない。よくわからない人は「あなたの人生の物語」を読んでください。