kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

期待=頼る

期待しないこと、それ即ち頼らないこと

ではないか?

こんなことを帰り道考えていた。その経緯をご説明する。

 

今日も仕事で上手くいかなくて落ち込んだ。

 

彼氏(前の記事の彼氏とは復縁のち別れ、色々あってマッチングアプリで新しく彼氏ができた)はあまり落ち込まない、ように見える。そもそも表象に顕れる感情の起伏が小さい。そこが一緒にいたいと思う要因の一つでもあるのだが。怒らないし、落ち込まない。

どうしてなのか聞いたところ、あまり期待してないのかも、と。

その答えがずっと頭に残っている。

 

今日の仕事で向けられた視線、というより自分で勝手に作り上げた相手の考えなのだが、を思い出す。

"じゃあお前は何をしているんだ?"

何もしていない。何もできていない。

私がいることによる付加価値を何も与えられていない。

 

先日読んだ暇と退屈な倫理学のあとがきにて、なぜ祈るのかという質問があった。

お金がないことと、だれからも関心を向けられないこと、どちらが辛いのだろうか。

お金がないことだろうとつい短絡的に考えてしまうが、この社会ではお金がなくても案外生活はできる。社会の中で透明人間になってしまうことの方が怖いのかもしれない。

ただ、関心を金で買うこともできる。一方で、関心が多ければ金を稼ぐこともできる。

まずどちらかを選ぼうとする考え方がナンセンスなのだが。

 

誰からも関心を向けられないことはとても怖い。

自分という存在は他人からの視線でしか可視化されないのだ。

ちょうど鉛筆で塗り潰して初めて線が浮き出る描き跡のように。

 

そして存在価値というのは、自分の在不在で変化があること(変化とはプラスの価値といいたいところだが、バタフライエフェクトの原理で、何がプラスかという基準を決めることができない)、その差である。

ただ素通りするだけ、何なら自分を介さない方がよりスムーズに進んだであろう物事。

社内であれば教育の一環だとまだ思えるが、社外が絡むとそうはいかない。

 

話が逸れてしまったが、そんなこんなで落ち込んでいた帰り道、彼氏の言葉を思い出し、期待しないこと、と言い聞かせていた。

上司が事前に指摘してくれていれば〜

彼氏にぎゅっとしてもらいたい〜

もっと容量よくやれたらな〜

全部期待である。期待は何も生まない。他者への期待は、相手にとって重積に、自分にとって幸せのハードルを上げさせる。誰にも何の得もない。

うまく回らなかったなぁ。それだけ。そこに感情の浮き沈みはない。自分にも上司にも期待しない。

彼氏にも。たとえ同棲してまた落ち込むことがあっても、帰ったら彼氏は疲れ切って寝ているかもしれない。彼氏はいつも通り生活しているだけなのに、なぜか私は落ち込む。そんなのって。

期待しないこと。

 

じゃあ、どうせ期待しても無駄だから自分でやる?

それは自分に期待していることになる。それでできなかったら?

では、こんなスタンスではどうだろう。

犬にとりあえずボールを投げてみる。拾ってこなくてもまぁいいかと。

でも自分で取りに行くの?それは自分に期待しているのでは?

やはり頼る=期待するなのか。

誰も、自分も頼らない。

 

わからなくなってきた。寝る。

 

彼氏から返信が来ない。

これも期待だ。

期待したくない。やめる方法を教えてほしい。