kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

イデア

ああああああ思うようにブログが書けない。思うようにというのは違うのかしら。うまく書けない。うまく書くって何?ただの日記なんだから書きたいことを書きたいように書けばよい。他人の目なんか気にするな。えーでも良い文を書いたときは執筆後の達成感が爽快だし、自分で読み返しても面白い。達成といえば後輩が木村達成のファンだったな。彼の顔は王道にかっこいい。彼女もめちゃくちゃ美人だったけど元気にしてるだろうか。今年は同窓会ができないかな。去年も行けなかったからさみしい。ゆーてもう同期は社会人だから呼ばれないか。いやじゃあどうして去年呼ばれたんだろう。仲良しだったからかな。私の知り合い皆元気でいるといい(表記揺れ!)。おけパの話のように、本来は辱めを感じたらそこから努力をして克服するべきなんだ。それが就活で聞かれる「挫折の経験をお聞かせください。」の模範解答だとわかってる。でもおめーに話せるような挫折の経験はねーよ。今話しているのはちょっと落ちこんんだ程度の話です。本当の挫折はあの時かな。そこからは逃げました。逃げたことが克服なのです。私が心地よく生きることを選んだのです。ストレスマネジメントは上手くなりました。逃げることを学んだからです。辱めを受けたら、その場所に行かなければよいのです。思い出さなければよいのです。ハッピーな記憶の上塗りで、嫌な記憶1/10を嫌な記憶1/100に希釈してしまえばよいのです。事実、私たちのたった100年の人生で大事なのはそっちじゃないですか?私は苦しんで苦しんだ先にある達成感という「幸せな記憶」よりも、のらりくらりと苦しいことから逃げて可愛いお洋服や素晴らしい作品との出会いという小さな(?)幸せの記憶を積み重ねたい。それを選んだのです。その選択に後悔はないけれど、こういう話を読むとまぶしくなる(まぶしいって平仮名で書いた方がまぶしそう)。そうあるべきというイデアが見える。私は理想郷の住民ではない。推しは理想郷の住民なのだ。私のイデアである。そうはなれない、そうなることを廃棄した私の裏なのかもしれない。だから高校生の頃と推すタイプが変わってきたのかもしれない。あの頃の裏*1が、今の私なのかもしれない。イデアとこちらの世界は入れ替わりながら常に存在する。