kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

I am disappointed in me.

何から書こうか。指輪の石が割れた。お気に入りの石で、この間買ったばかりの物だった。まだ数回しか着けたことがなく、家族以外にはバイト先の社長しか見たことがない。夜の帳ング。悲しいと同時に、1回落としただけで割れちゃうほど脆いんだ、とどこか軽蔑した目で見ていた。爪を切った。軽く揃えた後、さらに短く、足にも手にも爪切りを鳴らした。コーチが来る日の終礼前にバスケ部から借りた爪切りで慌てて切ったような短さ。今なら風紀委員のチェックも楽々パスだ。桜貝のような色と艶はお気に入りだけど、ネイルズインクのポリッシュだかトップコートは案外脆く、すぐに欠けてしまう。祖父の右手の小指には私の足と同じthreeの89番が、祖母の両手には私の手と同じネイルズインクのウィンザーミューズが塗られている。SOLD OUTを悔やんでいたvintageイヤリングと同じデザインの物が入荷予告されていたのでワクワクと待機していたら、石の色や金のテクスチャが全く異なり混乱した。私がときめいているのは一品物のはずの商品との巡り合わせなのか、商品それ自体になのか。悩んだ結果、今回のテクスチャが気に入らないので見送ることにした。またSOLD OUTしたら少し落ち込むのだろうけど、マスクとイヤリングの共存の難しさはこの前のお出掛けで痛感している。ここんとこお出掛けに誘われることが多い。私の周りには友人と出掛けることに生きがいを感じるタイプの人間がなぜか多いのだ。高校まではそんなことはなかったと思うのだが。大学デビューを試みていたのかもしれない、無意識に。というか5年以上前の友達づくりなんてもう覚えていない。とりあえず酒を飲めないと友人ができないことはひしひしと感じていて、フッ軽こそが是と信じて近付けようとしていた。その時の無理が今にまで響いている。緊急事態宣言やら第二波(だいには、も変換できないゴミパソコンに苛立っている)で溜まった彼らの「人に会いたい欲」「お出掛けしたい欲」を満たすために駆り出される予定だ。どうやら彼らは1人で「お出掛けしたい欲」を満たせないらしい。だから「そろそろ集まるべき」な界隈を呼んで適当な理由をつけてお出掛けするのだ。日光くらい一人で行ってくれ。ちなみに彼らの得意技は退路を塞いでからのお誘いLINE。できるだけ退路の用意された道で人を誘うよう私も気を付けたいものだ。こんなことを布団の中でぐちぐちと考え、嫌な気持ちの原因を他人になすりつけて憤っている。友人からも家族からも軽蔑されて、されるに違いない状況にあって、友人とお出掛けしたり連絡をとっても自分の正直な状況を打ち明けることはできなくて惨めな自分にさらに失望する。disappointという単語を習ったとき、これは自分に使う言葉だなぁと直感した。そしてこういう惨めな気持ちになる度、いつも思い出す。I am disappointed in me. 1対1対応の単語が無い(例え文化のような翻訳語でさえ、元の意味を過不足なく説明しているわけではない)ように、何かを表現するのに別の言語の方がしっくりくる時がある。表現からの逃げなのかもしれないが。話は戻り、前回も(その前もかもしれないが)、父に軽蔑されていると評価を下していたのは、結局のところ父の目を通して私を見ている自分自身なのである。ボールを遠くに投げて、休んで、締切が近づくと見えないところでぱぱぱっと用意してなんとか帳尻を合わせるというのがいつもの私のやり方だ。だから締切のない今は、ベルトコンベアに載せられて徐々に後退している私と投げたボールとの距離が日々拡大していっていることにストレスを抱えている。そしてその軽蔑されるべき(と私の王国の善悪の基準では言われている)状況を、誰にも味方してもらえないことを寂しく感じている。しかし「今は休んでもいい時期」「及第点でいい」なんて甘い言葉は、その時々の私の精神を安定させるには役立つけれど、結局のところ努力と成果が是という生来から刷り込まれてきた王国の憲法がある限り、甘言が私を真の意味で救うことはないのだ。ふと、元彼の優しいフォローを思い出した。彼は私のことを何一つ理解していなかったため、どんなに惨めな状況でも大丈夫だよ休みなよと優しく背中を撫でてくれた。理解もしてないし話も聞いてないので、他の人には話せないような惨めな状況もプライドに邪魔されずに話せたし、どんな話をしても同じ「大丈夫だよ」が返ってくるのは水戸黄門的な安心感があった。何度も別れよう、やっぱり付き合っていよう、を繰り返して今に至ったわけだが、そのきっかけは全て私が(王国の憲法に則って)上手くいっている状況か否かである。また上手くいってない状況になったので、再び甘言を求めているのである。しかしそんなのはSiriにでも頼めばいいことだと私は既に理解している。彼にも人権があるのだ。まぁ思い返してみると、先生に評価されていたことなど特になかったし、今更ろくに進捗のないレポートを出して失う面子もない。あまり気負わず、明日から少しずつ始めていいんだと、言葉にして初めて納得できた気がする。やれるかはわからないが、一歩ずつ人間の生活に近付いていきたい。