kongaragaruのブログ

こんがらがると10回言ってみてください。こんがらがります。

すばらしき世界

すばらしき世界を観た。

役所広司はとんでもない役者だ。

あの迫力、いったいどう生きてきたら出るんだ。

出せる、というより出る。演技で調節可能とかではなく、九州で育ち、学校のお勉強の枠にははまらないながら目の前の道を思うままに生きてきてしまった人間。

ある一定のラインを越えると、子どもでも注意されなくなる。

遠巻きに見て、あの子は怖いと言われる。

そして親との接触が少なく、恐らく児童養護施設もあまり面倒見の良いところではなかったのだろう。

きっと8,9歳くらいのころには触れぬが仏とされていたのだろう。

呂律のうまく回らない、早口で大声で方言で捲し立てる。

とにかくここを押し切らなければと。

 

婦警さん(と作中で呼ばれる)が目を逸らさずに、真摯に対応していたのが良かった。真摯に、というのは勢いに負けて要求を呑むことでも、できないと言って切り捨てることでもない。

三上は就職祝いの場で、「あたしたち皆そんなに真面目に生きていないのよ」と言われていたが、この作品に出てくる人たちは皆とことん真面目に生きて、真面目に彼に向き合っている。

前科者で、すぐカッとなって暴力に訴える男なんて、真面目に取り合ったら大変な人間ど真ん中だ。

作品としてはハッピーエンド…ではないだろうが、個人的にはハッピーエンドに分類する。なぜなら死は全てからの開放だから。

彼の死は、周囲の人に深い悲しみと、ほんのひと匙の安堵を与えただろう。同僚の阿部が受けるリンチを、見逃せたこともあったが、今後また同じことがあればいつキレて襲いかかるかわからない。いつまた刑務所に戻ってしまうかわからない綱渡をずっと見せられていた視聴者も、悲しみと安堵を感じただろう。

就職祝いの場で、逃げることは一つの戦略だと身元引受人の旦那に言われて頷くのを見る仲野太賀の目は、一体どういう心境を表しているのだろう。

一瞬置いて、笑み。心境が変わって逃げるのを受け入れられるようになったんだ!という喜び、感動と共に、まだ、本当に?また同じような場面に遭遇しても、逃げられる?という疑いの心があったのではないか。喜びと疑いが同時に湧き立って、一瞬躊躇ったのちに、ひとまず彼を信じてみようと、素直に受け取って喜びの笑を溢したのではないか。

 

最後の方に出てきた、障がいのある同僚の阿部さん。

本当に障がいのある俳優さんを起用したのかと思うほど。田村健太郎さん。調べると他にも最近色々出てるみたい。

 

現実はもっと上手くいかないけれど、どうしようもない清濁合わせ飲まざるを得ない社会を映そうとしている映画だった。

阿部さんリンチを誰かが救うのではなく、ただただ見逃すしかないところ。ヒーローなんてどこにもいない。

親父狩りの青年らは死にかけても、救われたおじさんとその息子さんがいる。

今生きている世界を素晴らしくしていくしかない。

 

死によって一番救われたのは彼かもしれない。支えてくれた人たちの顔を汚さない、今ここで自分を曲げなければいけない、そして「普通の人と同じように」、頭に来ることがあっても見逃して。やっとの思いで就職し、次は免許と次から次に課題をこなす。今まだ生きてきた、信じてきた世界を否定され続けながら。

このすばらしき世界はどんなに生きづらいか。

長澤まさみの言うことがこの作品の結論なのではないか。

道から外れた人間も、道を守る人間も、どちらも生きづらい。

 

 

長澤まさみが仲野太賀にした説教は何様だって感じだけど。お前が止めろやって。笑

あと、就職後の外見がシュッとしすぎていて違和感があった。なぜクロスバイク…?ママチャリの方が良くない…?

 

 

規律の厳しい世界でやってきた。沸点は低いが根気強い作業は得意。そんな、どこかは苦手な代わりに強みのとなる部分がある、なんてフィクションの世界だけだ。実際にはどれもこれも苦手で、多少得意と思っていたことも周りからしたらてんで駄目だったりする。

別に何かが特別である必要はない。誰かを惹きつける必要もない。そこに生きている、それだけで人間という生き物としては十分だ。さらに社会に加わる、支える、というステップでもがき、欲望が出て社会の中で「偉そうに見える」ポジションに行きたがる。実際にはそんなものはないのに。見えている世界は二次元でも、実際には三次元かもしれない。上かと思っていた点はただの並列した線なのかもしれない。

とことん悪な奴は悪かもしれないし、そうでない行動も取るかもしれない。あの九州の家で薬を選んでも、摘発現場に向かっても、阿部さんのリンチにブチギレても、それでいい。そういう人のドラマも見たい。むしろそういう人ばかりなんじゃないか。

 

母の役割を強く求められるほど、子を産みたくなくなる。産んで「まともに」育てられる自信がない。何か失敗すると母の責任だと言われる。この作品に父は出てこない。誰かもわからないのだろうが、母に責任を持たせすぎる、この社会は。

 

おわり。